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TOP : 有賀浩之選手、桑原健吾選手引退のお知らせ
投稿者 : webstaff2 投稿日時: 2010-03-03 (4681 ヒット)

この度、有賀浩之選手、桑原健吾選手の引退が決定しましたので報告させていただきます。

有賀選手は、アンテロープ塩尻が県リーグで戦っていた頃からの選手で、ディフェンスの要として、なにより、北信越昇格時にはキャプテンとして活躍しました。

桑原選手は、劇的な1部昇格を果たした2009シーズンのキャプテンを務め、北信越リーグで戦っていくチームにとって必要な、「魂」を注ぎ込んでくれました。

2人とも、ピッチ内外でチームを引っ張り、尊敬される選手でありました。
今回は、若手の成長と社会的・年齢的な要因が重なり、引退との決断にいたりました。

また、サポーターの皆様からは、長きにわたり熱いご声援を頂きましたこと心より御礼申し上げます。


◎有賀浩之(Hiroyuki ARUGA)
■生年月日:1977年11月15日(32歳)
■身長/体重:177cm/60
■ポジション:DF
■背番号:4
■出身地:長野県松本市
■チーム歴:
松本県ヶ丘高−宇都宮大−アンテロープ塩尻
■有賀選手コメント:
10年間アンテロープでプレーさせてもらい、支えて下さった家族、スタッフ、チームメイト、そして応援し続けて下さったサポーターの皆さんに感謝の気持ちでいっぱいです。
この度は様々な事情により引退を決意しましたが、昨シーズンを自分なりに戦いきり、チームも昇格を果たし、素晴らしい締めくくりとなりました。
今度はスタンドからアンテの力になれれば、と考えています。本当にありがとうございました。そして今シーズンもアンテロープをよろしくお願いいたします。


◎桑原健吾(kengo KUWABARA)
■生年月日:1977年2月19日(33歳)
■身長/体重:177cm/70
■ポジション:MF
■背番号:8
■出身地:長野県長野市
■チーム歴:
川中島中−長野高−千葉大−長野エルザSC(現:AC長野パルセイロ)−アンテロープ塩尻
■桑原選手コメント:
4年間お世話になりました。特にここ2年間は主将を務め、サッカー人として成長させてもらい、また1部昇格を果たすことができ本当に嬉しく思っています。アンテロープではかけがえのない仲間や尊敬するスタッフ、そして応援して下さるサポーターの皆さんに支えられて思いっきり楽しんでサッカーができました。
もう一年、もう一年と覚悟を決めてサッカーを続けてきましたが、体力面の維持の大変さと今後の仕事とプライベートについて考えるとここで一線を引こうと決心しました。
これからはアンテロープで培ったことを活かして、指導者として長野県のサッカーのために貢献していこうと思います。また、アンテロープには今後も何らかの形で関わっていければと思っています。
最後に、支えてくださったすべての方々、本当にありがとうございました。


奥田監督コメント:
引退おめでとうございます!
和式的に言えば、「お疲れ様」となるところですが、第2?第3?の人生を始めるにあたり、この経験が次ぎに繋がると思います。

有賀は、私より「アンテ歴」が長く、アンテの魂として多くの試合で活躍してきました。
その精神力と元祖「アンテの天井」は、他チームからもリスペクトされる存在でした。
2年前、引退を悩む有賀が「もう1年頑張る」と言った時、アンテの今の姿が想像できました。
不慮の事故によって、多くの試合に参加できなかった2008シーズン終了後、「まだやり残してる!」と即現役続行を表明したときは心から感動しました。
そして、最後のシーズンに挑んだ有賀は戦いきりました。
成長し、成長し続けることにブレーキを掛けなくなったアンテにとって、彼が留まる理由、私が引き留める理由はもう見つかりませんでした。

桑原は、アンテにとって、もっとも“北信越”を経験してきた選手でした。
私が監督に就任した2006シーズンに入団し、人として、選手としてバランスよくチームをまとめ、満を持して2008シーズン、キャプテンに就任しました。
その前年の12月28日、松本のある喫茶店で、キャプテン就任の打診をした時、そして、年明け早々に快諾して気持ちを高めていたその時、それがアンテをここまで変えてくれた大きなタイミングだったと回想できます。
試合に出ることが本人の大きなモチベーションであり、チームをまとめるためのプライドでした。
現役続行を求める若手も多く、本人も悩んだと思いますが、アンテサポーターになりました。

今、私が二人を思い出せば多くの感動が蘇ります。
一言では言い尽くせないその勇姿、魂、そして笑顔に助けられました。
次の人生も二人にとって輝かしいものであることを願います。

アンテロープ塩尻 奥田真央


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